89歳の父が他界しました。
横浜生まれ、横浜育ち、生粋のハマッコだった父は、進駐軍のアメリカ人から影響を受けて、
アメリカナイズ?された洋服やタンゴ、洋風の食べ物を好んでいました。
いつも胸のポケットにはハンカチを入れていたのは、そのせいなのかもしれません。
入院中パジャマの胸ポケットにいつも入れていたハンカチは、看護師の皆さんから珍しがられていましたっけ。
葬儀が終わった日、母がタンスの奥から父の写真を持ち出してきました。
その中の1枚は、ハイカラ、という言葉がぴったりの、まるであつらえたようなずっしりとしたコートを着た青年の父でした。
母は横浜の観光名所、山下公園近くの日本大通で撮影したものだと聞いた、と言っていましたが
どうも違うような気がして、父が撮影した場所を探すため開港記念会館のガイドさん、開港資料館の学芸員さんにアドバイスをもらい
ようやくその場所を突き止めました。
その場所がわかったとき、やっと父に近づけたような気がしたのです。
いつも目の前にいるのに、なぜだか他人のように遠く感じていた父でしたが、亡くなってから父の軌跡を
たどることで近くに感じるなんて本当に不思議です。
まさに1枚の写真がきっかけになったわけです。
大切な1枚はプリントして後世に残していかなければいけない、
今後はそのことも世の中に伝えていきたいと思います。